気づくと
こんばんは。(o^v^o)
ご無沙汰してます。
時間の合間にブログを書いていたのですが、いま、行っていることでその合間がその時間にあてられています。
だから、気づくとずいぶんブログを書いていませんでした。
そうそう、髭はまだ生えています。(o^v^o)
もう、みんな髭のわたしが自然になっているようです。
今から実家に帰って父の施術をしにいきます。
また、ブログ書きますね。
ありがとう。(o^v^o)
こんばんは。(o^v^o)
ご無沙汰してます。
時間の合間にブログを書いていたのですが、いま、行っていることでその合間がその時間にあてられています。
だから、気づくとずいぶんブログを書いていませんでした。
そうそう、髭はまだ生えています。(o^v^o)
もう、みんな髭のわたしが自然になっているようです。
今から実家に帰って父の施術をしにいきます。
また、ブログ書きますね。
ありがとう。(o^v^o)
こんばんは。(o^v^o)
ここしばらく暖かい日が続いていますね。(o^v^o)
例年なら1月の終わりごろから寒くなるのに、今年は寒さが早かったみたいですね。
そうそう、今、ちょっとしたことで、みんなを驚かせて楽しんでいます。
それは・・・
今、髭を伸ばしています。(o^v^o)
1月に入って3週間ほどマスクをしてお仕事をしていました。
その間に髭を伸ばしたのです。(o^v^o)
マスクは口元をすっぽりと包むので、髭が伸びているのが見えない状態でした。
そして、3週間後にマスクをパッととったのです。
だから、急にわたしの口元に髭が出現した状態です。
みなさんの反応はさまざまでした。(o^v^o)
びっくりした表情をする人、じーと髭を見る人。
古くから来られている人はそれぞれの感想を・・・。
「前のほうがよかったわ。」
わたしと同じくらいの年齢の子どもやお孫さんを持つ方々の感想はそちらよりかな。(o^v^o)
反応や感想を聞くのが楽しい。(o^v^o)
もし、だれからも、反応がなかったら、寂しいですね。
中には「前のほうがやさしい感じがしてよかったわ」と。(o^v^o)
考えてみるとどちらも、褒め言葉ですよね。
ありがたいなあ~。(o^v^o)
ここまで髭を伸ばすのは生まれて初めてです。
いろいろな感想がありますが、本人は結構気に入っています。(o^v^o)
もちろん、いいねと褒めてくれた方も何人かいますよ。
「どうして伸ばしはじめたの?」
と聞かれたら、
「おしゃれです。」
と答えています。
「髪の毛でおしゃれできない分、髭で・・・」と。(o^v^o)
「なにか心境の変化でも・・・」
と聞いてきた方がいました。
そうかもしれません。だって、髭を伸ばし始めたから。
どんな?って、伸ばしてみようと思ったから、それが心境の変化かな。(o^v^o)
髭を伸ばすという小さなことを楽しむのもいいですよね。
いつまで髭を伸ばしているかはわかりませんが、もう少しこのままでいようかと思っています。(o^v^o)
最後に、このブログを読んだ人で、まだ、髭を伸ばしたわたしと会っていない方へ。
わたしは褒められるのは好きです。(o^v^o)
ありがとう。(o^v^o)
こんばんは。(o^v^o)
前回は「がんばる」ということ書きました。
がんばるということは、こころの深いところには、
「自分はこれが苦手だ」、「がんばらなくては」、「できないかも」などがあります。
どこかブレーキがかかってしまいます。
子どもが運動会や何かの競技に出ているとき、親は「がんばれ~」「がんばれ~」と声援します。
この声援、子どもががんばらなくてはと力んじゃって本来の力が出せないんです。
これは脳科学でも証明されているようです。
そしたら子どもにどういった言葉をかけてあげるといいか考えてみました。
そこで、浮かんだのが、
「○○ちゃんならできる。楽しんでらっしゃい」(o^v^o)
これなら、子どもは自信をもちますし、親が信頼してくれているという愛も感じます。
すると、子どもも力がほどほどに抜けて
「楽しもう」
と本来の力がでてきますね。
そうそう、自分を応援するなら
「わたしならできる。楽しんじゃおう。(o^v^o)」
です。
どちらも、笑顔で。
ありがとう。(o^v^o)
こんばんは。(o^v^o)
今日も、ほどほどに一生懸命な一日でした。
一般的にはまだまだ「がんばること」が素晴らしいように思いがちです。
わたし達は子どものうちから学校などで何かにつけて「がんばろう」「がんばりましょう」ということを言われます。
この「がんばろう」ということ、これを言われるときは多くが自分の苦手なこと、不得意なことに言われます。
それを「がんばること」がとてもいいように思われがちですが、別に苦手なことをがんばって得意にすることもないし、不得意なことを得意なことにする必要はありません。
なぜって?
それは、わたし達は完全、完璧ではないからです。
だから、苦手なことがあってもいいし、不得意なことがあってもいいです。
自分が苦手なこと、不得意なことが得意な人がいます。
自分が得意なことが不得意という人もいます。
だから、不得意なことはがんばらなくても出来る範囲でほどほどにすればいいです。
不得意なことは得意な人に任せよう。
わたしが得意なことはわたしに任せて。(o^v^o)
でも、社会に出るとそれでは困るのでは?
という人もいるかもしれませんね。
ほんとうに、そうかな~(o^v^o)
今考えると、わたしは不得意なことで困ったと思ったことも、実は困ったような気がしただけです。
それに、子どものころにがんばったことよりも、好きで楽しんだことのほうがイキイキしていました。
そうは言っても、がんばることが好きな人は、がんばってくださいね。
でもよく考えてみると、それってがんばることが好きで、楽しんでいるんですよね。
だから、がんばっているようで、好きなことを楽しんでいる。(o^v^o)
それに、苦手なこと、不得意なことでも、がんばらずにほどほどに一生懸命すれば、苦しくなく、苦手なことが少しずつできるようになっていくことが楽しく感じますね。
ありがとう。(o^v^o)
こんにちは。(o^v^o)
今日も、朝から仕事をして幸せ気分です。(o^v^o)
この幸せ気分、このブログを再開する以前のブログ、その日に幸せだと思ったことを、「○○で幸せ気分」ということを書いていました。
これは、自分の幸せを認識するのにとてもいい方法で、そして、その幸せ気分をブログで伝えることでみんなも幸せ気分になってもらおうというものでした。
人間は遺伝子の99%以上が他の人と同じだそうです。
だから、いろんなことが共鳴しあいます。
明るい人のそばにいると、明るさが共鳴し、幸せだと感じたものも共鳴します。
逆に、暗い人のそばにいると、暗さが共鳴し、明るい人まで暗くなったりします。
それじゃ、自分は明るく生きて、それがまわりの人に共鳴したらいいなーと思いますよね。
今はそれを実践して新たなことを発見したことを、次の流れ、段階として実践しています。
実践すると新しい発見、出会いがあります。
思いついたことは、まず一歩踏み出して、実践してみることをお勧めします。
ありがとう。(o^v^o)
こんにちは。(o^v^o)
今日は穏やかな日曜日ですね。
わたしは、朝からお仕事でした。(o^v^o)
前回は認識することを書きました。
認識していることと、認識していないことの大きな違いは、自分の心の状態が違うのです。
認識しているこころは、いつも落ち着いていて穏やかで安定しています。
ワクワクしながら、どこか落ち着いています。
認識していないこころは、どこか、落ち着きがなく何かがあると不安定になります。
ワクワクしても、そのあとになんだか不安な気持ちになったりします。
同じことが起きてもこころの状態がぜんぜん違うのです。
認識することは自然の法則を認識することなのです。
ありがとう。(o^v^o)
こんにちは。(o^v^o)
今日の大阪はお天気もよくて、そんなに寒くないですね。
心地よい日和です。
わたしは去年の10月に約1ヶ月ほど、自分の心を見る時期がありました。
心を見ることはいつもしているのですが、その時は、いつもと違った視点で見ました。
そして、気づいたこと、見つけたことがいくつかありました。
そのひとつに片方の見方だけを伝えていたことが多かったということです。
今もみんなのこころが温かくなること、気持ちが軽くなることなどがあれば、ブログにでも書いて喜んでもらえたらと思っています。
それには、片方の見方を表しているだけでは不十分だなということです。
十分か不十分かは自分が思うことかもしれませんが、わたしには不十分だなた思いました。
それに気がつきました。
(10月にぽかぽかメールを休止したことも、このことも理由のひとつです。)
からだは必ず老いていきます。
それは、誰も逃れられません。
1日1日と確実にです。
でも、その老いかたは1日の差では実感できるものではないため、あるときふっと気がつきます。
「あれ、こんなとこに白髪が・・・」なんて。(o^v^o)
すると、さっと白髪を抜いてそこにははじめからなかったかのようにします。
ちっさなことですが、考えてみるとその現実が認められない・・・。
認められないのは自分のその姿が嫌だということ。
だから、ごまかす、ごまかす。
それでは、いつまでたっても明るくなれませんね。
そこで、明るくなるにはごまかすのではなくて、白髪が増えてくることは自然なことだということをまずはちゃんと知って認識すること。
それをちゃんと認識した上で、白髪を抜くなり染めるなりする。
これ、実はとても違うのです。
なぜかというと、ちゃんと認識して白髪を染めることは、おしゃれを楽しむことだからです。
ちゃんと認識することは老化というみんなが通る自然なことによって髪の毛が白くなったとこを染めて自分は明るく楽しんでいるということ。
ちゃんと認識していないことは白髪が自分はとにかく嫌だから、見たくないから染めて隠す。
この違いは自分の心の中では大きく違ってきます。
だから、陰の部分をちゃんと認識して陽の部分と合わせることが、こころのバランスにもとっても大切なのです。(o^v^o)
ありがとう。(o^v^o)
こんばんは。(o^v^o)
ちょっと、日にちが経ちましたが、前回の続きを書きたいと思います。
前回書いた「恩」のもう一つ書こうと思ったこと。
それは、前回も書いたけど、「恩」は自分が感じたときに「恩」となっているということ。
よーく考えると、してもらったことに、これが「恩」でこれは「恩」ではないという区別はないはずです。
でも、わたしたちは、してもらったことにそれぞれのこころで色をつけます。
それから、そのとき「恩」を感じても、忘れてしまうこともありますね。(o^v^o)
それでは、みなさん「恩」を一番感じるのは誰でしょう。
両親ですか?
それとも、なにかの先生ですか?
考えてみると、あの人も、この人もとたくさんでてくるのでは。(o^v^o)
両親と言えば、命がけで生んでくれて、ある年齢まで食べさせてくれて、いろんなこと教えてくれて、学校にも行かせてもらって、大人になっても自分のことを気にかけてくれている。
と「恩」のかたまりみたいな存在ですね。(o^v^o)
だのに、日ごろ親に「恩」があるとあまり言わないですね。(o^v^o)
(「恩」を忘れて嫌っている人もいますね。)
だのに、ほかの人に「恩」があるからと強調してしまう。(o^v^o)
そうそう、みなさん、小学校の時に九九を教えてくれた先生に「恩」を感じていますか?
ひらがなや漢字を教えてくれた先生には?
わたしはそのことを考えながら、自分のこころの内を見たときに大きな気づきがありました。
「なーんだ。そういうことだったのか。」と。(o^v^o)
だから、今は、小学校のときに教えてくれた先生も、社会にでてから教えてくれた先生も
それぞれに同じくらいの「恩」を感じています。(o^v^o)
少し参考になればうれしいです。
ありがとう。(o^v^o)
こんにちは。(o^v^o)
今日はお天気もよくて、気持ちいいくらいの気温でした。
昼間、外出しているとちらっと雪が舞いました。
それを見て、「冬だな~」と思いました。
ただそれだけ。
目の前には冬の昼間がただあるだけでした。
ははははは。(o^v^o)
今日は、こんなお話を書いてみます。
子供達は元気ですね。
こんな寒い日でも外で走り回って遊びます。
顔をピンク色に染めて寒いという感じがしません。
大人からみると寒くないのかな?と思うほどです。
子供達は今日何をして遊ぼうかと考えて元気に遊びます。
それは、今を生きているからです。
しかし、大人は子供から大人になるにつれて
「あれをしなければいけない」「これをしなければいけない」
ということが増えてきます。言えば過去に生きていきます。
「あれをしなければ」「これをしなければいけない」
といるとなかなか明るくなれませんね。(o^v^o)
そうそう、最近、ある人の話を聞いてから「恩」ということを考えていました。
これまでわたしもたくさんの人たちの「恩」を受け、「ありがたいな~」ということが数え切れないくらいにありました。
その「恩」は考えてみると自分が「恩」と感じたもの。
自分が「恩」と思わないことは「恩」と思っていませんね。
自分が苦しかったとき、辛かったときなど、ある人の一言やしてもらったことに自分が「助けられた~」と感じたら、それには「恩」を感じます。
もし、その自分が「恩」を受けたと感じた人からなにか頼まれたりしたら、喜んでその人に「恩」を返したいと思うことは自然なことです。
わたしも、もし、「恩」を受けた人から、そんな時があれば、自分の出来る範囲で「恩」を返したいと思っています。
それでは、その「恩」のある人から、自分の出来る範囲以上のこと、自分がこれだけはしたくないなと思っていることを頼まれたらみなさんどうします?
その人には「恩」があるからと、気が進まなくてもしますか?
こんな状況はみなさんも一度や二度あるのではないかと思います。
この話で、書こうと思うことが2つあるのですが、ひとつはこの人には「恩」があるという想いが強くなりすぎると、知らない間に「しがらみ」になっているかもということです。
「しがらみ」を漢字にすると「柵」です。
「柵」の意味は、水流を塞きとめるために杭を打ちならべて、これに竹や木を渡したもの。
そうです、こんなときはこの「柵」が自分の心の流れを止めてしまいます。
だから、こころ苦しく、楽しくなくなってしまいます。
わたしたちは「恩」を受け「恩」を与えて生きています。
「恩」は相手に「恩」を与えてやろうとしてするものではありませんね。
だから、「恩」を持つのは大切で自然なことですが、過剰に「恩」だからと持つと、それは「柵」になってしまうこともあります。
その「柵」の想いで返すことは相手もきっと喜ばないでしょうし、行動としてはある程度返せても「恩」を返すことになっていないのかもしれませんね。
(それでも行動である程度返せればいいという見方もあります。)
自分のこころの内をしっかり見つめて、「柵」ではなく「恩」で行動することが大切です。
すると、頼まれたことも断ることもあるだろうし、出来る範囲でできることもあると思います。
それは、自分のこころに正直に行動することが、「恩」を返すことになるのではと思います。
ありがとう。(o^v^o)
こんにちは。(o^v^o)
今、施術が終わりました。
朝からずーと施術して、休む間がありませんでしたが、最後の方に来られた方が、一緒にお昼ごはんをと、お寿司を買ってきてくれました。
「ありがたーい。」
楽しくお話しながら、おいしくいただきました。(o^v^o)
東洋的な見方に「陰陽」や「表裏」というものがあります。
すべてを2極に分けるというもの。
ものごとを見ればどうしても片方のほうがクローズアップされやすくなります。
これでは、どうしても偏ったものの見方になってしまいます。
これから、このブログでは、できるだけ「陰陽」「表裏」を合わせた見方で書いていきたいと思っています。
そうしないと、ものごとがはっきりと見えてきませんし、偏った情報を送ることになってしまいますからね。
ありがとう。(o^v^o)
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